平成28年度 第2回公開研究会
日時
2016年11月12日(土)午後3時~午後4時30分
会場
発表者
古瀬珠水(東京外国語大学 非常勤講師)
新資料興聖寺開山円耳和尚撰『諮詢仏法録』について
【発表要旨】
新資料『諮詢仏法録』は京都洛北興聖寺に納められていた近世の文書である。奥書には「日本慶長第十龍集己巳暦二月朔日沙門圓耳了然稽首和南」と書かれ、慶長10年(1605)に興聖寺の開山和尚円耳によって著されたことが確認できた。更に、当資料は秀吉による文禄・慶長の役(壬辰倭乱)の戦後処理の交渉のために来日した、朝鮮国僧侶惟政(松雲大師)へ円耳が呈した禅門に関する質問書であることも判明した。(『続日本高僧伝』に記された『佛法綱要十則』が正に当資料である。)質問は十項目挙げられ、問答形式により円耳の禅宗に関する疑問・疑念を問う形である。その内容は基本的な臨済禅に基づくものであるが、最後の第十条には、円耳の禅宗との出会い、また自身が坐禅中に慧能から印可を得たことなどについて叙述している。
本発表では、上記質問項目のいくつかについてその内容を報告し、さらに当資料から読み取れる円耳の禅宗に対する考え方、また惟政の人物像などについても考察を試みたい。
藤本孝一(龍谷大学客員教授)
国宝『金剛場陀羅尼経』は最古の写本か!―評郡制度と奥書―
【発表要旨】
本経1巻は、日本最古の写経といわれ国宝(京都国立博物館蔵)に指定されている。
書写年代は、奥書に「歳次丙戌年五月、河内國志貴評内知識」とあり、志貴評の人が祖先父母のために本経を書写させて供養したとある。「評」は、大宝元年(702)に大宝律令の施行により、「評」から「郡」に改変された行政区画である。「評」から「丙戌年」を、制定前の天武天皇十五年の朱鳥元年(686)にあたると判断されている。7世紀の写経から、隋において漢訳された『金剛場陀羅尼経』が一世紀をたたないうちに、わが国で書写されていることは仏典伝来上に興味深いものがあると、評価されている。
本巻を調査した折、裏打ちで紙背は読めないが、裏から光を当てて透過光で紙背を点検すると、最後の1紙に「天平十八年(746)」と書かれている。「丙戌年」は天平十八年となり、60年後の8世紀の写経となる。そうなると、本経を日本仏教の受容史の中で、経典・供養・書風等を、どのように位置づけしたらよいかを、再検討したい。
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