ハンブルグ大学 2017年~2019年
2017年10月より2セメスターの間 Universität Hamburg に留学し,Dorji Wangchuk 教授のもとで学位論文を執筆できたことは,まったく,本学の留学制度により叶いましたことです。“明日死ぬにしても今日勉強しよう” (nangs par ‘chi yang bslab) という,Sa skya legs bshad の一格言がタンカに掲げられた Wangchuk 教授の研究室で,14世紀チベットの大成就者 Thang-stong-rgyal-po の諸事跡に関わる寿命成就法 (tshe sgrub) について研究をすすめられたことの意義深さは,しかし,大げさなものの言い方に過ぎるかもしれないけれど,どのような論文でも設定しえない奥深さをたたえているようにも思います。Asien-Afrika-Institut の廊下には,歴代教授陣のお写真が高く掲げられた中に,sGo-mang dGe-bshes dGe-‘dun-blo-gros 師 (1924―1979) もいらっしゃり,ここを通るときにはいつも,こうした些か分に過ぎる幸福をひしひしと肌身に感じたものです。私はここで勉強することを求め,そしてこうして Kultur und Geschichte Indiens und Tibets のクラスに参加することも叶ったのだと。
セメスターの始まりに,オリエンテーション (Vorbesprechung) の席上 Isaacson 教授の魅力溢れる解説により紹介されたそれらのクラス ― 例えば,彼の Āmnāyamañjarī 講読,Heimbel 博士の dbu med 字写本講読,Delhey 博士の Triṃśikāvijñaptibhāṣya 講読,Wangchuk 教授の Theg dgu spyi bcings, sBrul nag po’i stong thun,そして Zangs gling ma 諸講読といったクラス ― に参加し,彼らが専門としている個々のテクストを共に読みすすめられたことはとても “タフな” (schwierige) 経験で,私は彼らから大事なことを数多く学びました。直される前の試訳やトランスリタレーションを見返すと,こんなことを考えていたのかと思わず赤面したり,深くため息をついてしまうようなものも少なくなく,いつものことではありますが,至極がっかりします。しかし考えようによっては,それはつまり,私なりに一生懸命力を尽くし,ない智慧をしぼり,そうして,彼らのもとで少しずつましな翻訳をするようになっていった成長の証みたいなものなのだと,そう (どうにか) 再評価することもできるでしょう。
こうした “タフな” 経験のなかでも,Zangs gling ma を一センテンスずつ,じっくり時間をかけて (しばしばコンテクストから脱線しながら) Wangchuk 教授と共に読みすすめられたことは,いつ思い返しても特別です。Rin chen gter mdzod chen mo に収録されて伝わるこの gter ma 文献について,Wangchuk 教授に加え Almogi 博士にも教わることができたことは,― あえて言うまでもないことですが ― 他所ではちょっと得難いリファレンスなのですから。こうした文献の多くは,チベットの伝統的な相承の仕方を保ち,一部の適正な修行者が実践するところの “成就法” として位置づけられ,いまなおその入手が厳しく制限されています。今日の文献学的アプローチばかりでは学究が困難なこうした事例に対しては,私が勉強しているテクストのいくつかについて,留学中,北インドのとあるお寺で灌頂会がたまたま (と思われる) 開かれ,この教えの習得に必要な灌頂を授かる貴重な機会に恵まれたことも,記しておきたいと思います。
最後になりましたが,私を Hamburg に温かく送り出し,また温かく迎え入れてくださったすべてのみなさま方に,心からの感謝を捧げます。あの Asien-Afrika-Institut の図書館で日夜作成した pdf のいくつかには,親しい友人たちの芳しい指が,見間違えようのない厳然たる Hamburg のシグネチャーとして写り込んでいて,いつ見ても懐かしい気持ちが温め返されます。
2019年2月20日 K. S.