発表要旨
高田時雄(京都大学人文科学研究所 教授)
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「音義の歴史から見た玄應音義」
中國における音義の歴史の中で玄應の『衆經音義』の位置を考察しようとする場合、二つの考え方があり得るように思われる。一つは音義というより廣い枠組みの中に玄應の音義を置いて眺めようとする立場である。音義という型式はもちろん儒家の經典讀解の營みのなかで育まれたものであり、玄應が佛典に對してこの型式を應用したのは一つの新しい試みであるが、一面、佛家の學問がなお六朝以來の學問の傳統と深い結びつきを持っていたことを意味している。さらに玄應の用いた反切から窺える字音體系が『切韻』のそれに極めて近いという點も、同じく佛家の經典讀書音が廣く當時の知識人の字音と共通の基盤を有していたことの證左である。佛典音義という點から、ややもすれば佛家の傳統の中だけで議論されがちであるが、玄應のような比較的早い時期に成立した音義については、より廣い中國の學問傳統の中で理解すべき點が多い。
もう一方は佛典音義、とりわけ一切經に對する音義の流れの中に位置づけるという立場がやはり必要である。これはとりもなおさず一切經の音義が果たした役割とその變化を辿ることでもある。玄應の音義はおそらく本格的に隨函の型式をとった最初の音義であり、當然ながら後世の同型式の音義に對して大きな影響を與えるものとなった。しかし慧琳、可洪、行瑫など、同じく一切經に對する音義ではあるが、その注釋の態度は大きく異なっている。われわれはこれら音義作者による個別の對應の中に、佛教をめぐる時代相の大きな推移と、佛典の讀誦と研究に對する佛家自身の考え方の變化を讀み取ることが出來るように思われる。
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