中村一紀(宮内庁書陵部図書課員)
「モノを伝えるということ-文化財の保管とは-」
モノを伝える。その行為は保管という言葉で表してよい。保は保存であり,管は管理である。そのどちらが欠けてもモノを十分に残し伝えることは出来ない。すなわち,的確なモノの管理をし,そのうえで残すための保存策を建てること,である。
管理がよければ保存もよい,という誤解がある。確かによい保存にはよい管理が前提となるが、しかし管理はあくまでモノの管理と捉えるべきで,モノを将来に残す保存行為ではない,という認識が必要である。したがって管理者は,経蔵に収めてある,空調付きの収蔵庫に納めてある,という目に見える事実だけを見るのではなく,その収納空間の雰囲気(環境)を注視し,微細に対応していくことが最重要の役目であり、その対策こそが保存行為である。
管理の基本は温湿度である。その変化は小さい方がよいといわれる。空調庫にあっては傾向としてほぼ20℃60%前後に設定されているようだが,はたしてこの設定が全能であるのかどうか。確かに人にとって不快な設定ではない。しかしそれはそのまま虫やカビも不快ではないのである。モノにとって快適な環境とはどういうものかを,考える必要があろう。もとより機械空調を否定するものではない。しかし,古代から20世紀前半まで、モノは自然の中で先人の工夫により伝えられてきたのであり,人工的な温湿度設定は存在しない。今、そのことを改めて考えてみることも無駄ではあるまい。
保管の方策には絶対というものはない。基本路線は定まっていても,そこから先は試行錯誤の連続である。またそうあらねばならないと思う。自らが決めた方策を自らが監視するという態度が求められる。
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