落合 俊典(国際仏教学大学院大学教授)
「日本古写経データベースと漢訳仏典研究」
漢訳大蔵経のテキスト校訂史は、中国で大蔵経(或いは一切経)という集成事業が行われるようになった六朝後期から始まった。北宋時代に至るまでは書写が中心であったが、刊本一切経が東アジア各地で刊行されるようになり、ついに高麗再雕版が印行されるに及んで校訂作業はピークを迎えることとなる。
時代は下り、日本の江戸時代に高麗再雕版の刊本としての優越性に着目した二人の学僧がいた。一人は浄土宗の鹿ヶ谷忍徴(1645〜1711)であり、一人は浄土真宗の丹山順芸(1785〜1847)であった。特に後者は、十有余年を費やして建仁寺の高麗版と黄檗版を比較して高麗版の卓越性を立証した。学者の共通通念となり、やがて大正時代に編纂された『大正新脩大蔵経』は、底本として高麗再雕版を採用した。
一方、敦煌写経研究の進展を契機に、高麗再雕版の抱える問題点も浮き彫りとなった。敦煌写経の多くは刊本大蔵経成立以前の書写に係るものであるから高麗再雕版などより原本に近いと考えられたが、必ずしも高麗再雕版と一致せず問題となっていたのである。その敦煌写経と最も親近性を有する写経群が日本古写経なのである。日本古写経のコア部分は奈良写経である。平安写経や鎌倉写経も大半は奈良写経の転写本と想定される。日本古写経の重要性は、今後若い人を中心にして行われるであろう校訂研究において実証されていくに違いない。
しかしながら、日本古写経本を手にとって見ることは容易ではなく、ましてや一蔵すべてマイクロ化なりデジタル化する動きは起こらなかった。サンスクリット語・チベット語・漢語(梵蔵漢)の大蔵経集成で世界の先端に位置する国際仏教学大学院大学は、世界で唯一の日本古写経のデータベース化にいち早く取り組み、今ここに記念碑的な第一歩を踏むことになったのである。それは漢訳大蔵経校訂史に於ける重要な転換点となる研究事業である。本発表では、主に第一期の完成成ったデータベースの利用方法についてプロジェクターを用いて説明する。
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