シルヴィオ・ヴィータ(イタリア国立東方学研究所所長)
諸視点から見た中世中国における文物としての一切経
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中国史上の様々な時期に編纂された諸経録を分析すると、「仏教」が教説と思想の集成として中国的背景においてどのように理解されていたかを知ることができる。そこで、これらの経録を分析するならば、何よりもまず、中国における仏教伝承とは何かという定義に関して直接的な結果を得られるのである。
ただし、諸経録は、書誌的な好奇心から編纂されたのでもなく、また経典のジャンルについて単に観念的に思索した結果として生み出されたのでもない。そうではなくて、多くの場合、諸経録は、文物
−つまり、およそ寺院がそなえるべき、教説を伝える象徴としての正統聖典、また、多くの像と同じく寺院を構成する重要な「目に見える」聖なる道具としての正統聖典−
を正しく作り出すことをも目的としていたのである。
本発表では以上の観点から、当問題に関する先行研究の成果に依りつつ、同時にまた参照可能な一次資料のうちから関連する証拠を集めながら諸経録を分析してみたい。中国仏教文化の物質的側面に関する近年の研究を補完する意味で、以上のようにこの文物を再現してみよう。
時代的には中世までに限定する。というのも、その時代は一切経がまだ写本という形で伝えられていたからである。以上の諸問題の研究に重要な貢献を果たした方廣?氏は、この段階における一切経具備の物理的方法の相違を強調するために、中世を「写本時代」と命名している。確かにこの時代からやがては今日の我々が知っているような広く流布した形の一切経に到る道が始まるのであり、西暦6世紀から10世紀にかけて確立されたのと同じ方法によって19、20世紀に日本で一切経が最終的に確定されるに至ったのである。
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