後思渓蔵とは何か
平成25年度シンポジウム発表要旨
上 杉 智 英(国際仏教学大学院大学戦略プロジェクト主任研究員)
特定の宋版大蔵経の総体・構成を研究対象とし、その解明を目的とした時、基礎資料となるのが目録である。現存の経典そのものに基づき一蔵の総体・構成を解明しようとすれば、一蔵の具備が求められるが、実際に諸寺・諸機関に所蔵される宋版大蔵経の現存状況は、何れも逸失、或いは混合しており、一蔵(のみ)を完備するものはない。この様な現存の実状において、目録は一蔵の総体・構成を示すものとして重要な一次資料となり得るものであり、大蔵経研究の基盤とも言えるものであるが、その目録自体に関しては不明な点も多い。本発表では南宋思渓版とその目録を考察対象とする。
思渓版は、北宋末から南宋初期にかけ、浙江湖州帰安県の圓覚禅院にて王永従一族が発願して開版した一切経である(前思渓版)。その後、圓覚禅院は荒廃、一切経の印造活動も停滞した。しかし淳祐年間(1241-52)に皇族らが大檀越となり圓覚禅院は法宝資福寺に昇格、版木の再刻が行われた(後思渓版)。前思渓版の目録が『湖州思渓円覚禅院新彫大蔵経目録』(以下、『円覚録』)であり、後思渓版の目録が『安吉州思渓法宝資福禅寺大蔵経目録』(以下、『資福録』)である。
従来、両目録の比較により、後思渓蔵は前思渓蔵548函に新たに51函24部450巻の仏典を追雕したものとされている。ただし日本に伝存している思渓版の内、『資福録』に録される450巻の増補経典を具備したものは確認されていない。留意すべきは、これが「伝存している思渓版の何れもが前思渓版である」ということではない点であり、寧ろ伝存しているのは殆ど淳祐年間の補刻を経た後思渓版である。
何故、伝存しているのは後思渓版であるのに、後思渓版の目録とされる『資福目録』にみられる増補経典51函24部450巻を具備するものが皆無なのか。目録と現存の乖離という、この命題に対し、本発表では従来試みられることのなかった『資福録』に対する書誌学的検討により仮説を提示するものである。