福州版宋版大蔵経の刻工に関する問題
―いわゆる「混合帖」の事例から―
平成25年度シンポジウム発表要旨
牧野 和夫(実践女子大学 教授)
福州版大蔵経には、東禅寺版・開元寺版の二種の蔵版があり、元来は、個々に全く別個の出版経緯を経たものであったか、と推測されている。しかし、『神奈川県立金沢文庫保管宋版一切経』所収の野澤佳美氏「金沢文庫蔵(福州)版一切経について」に拠れば、主として開元寺版の破損・磨滅した板木分を東禅寺版板木で刷印した葉で補配する帖冊が散見される、という。こうしたケースを呼称して野澤氏は「混合帖」としたのである。「混合帖」は容易に識別が可能のケースもあった。「廣東運使寺正曾噩捨」などの施財刊語を有する補刻葉(東禅寺版に特有、東禅寺版のみに顕著)が開元寺版(題記に「開元寺」と明記)の帖冊に混入していることで認識できる場合があったのである。
ところが、識別に困難なケースも少なからず見いだされることが明らかになってきた。発表者は、いくつかのケースを事例として例示した(2004年5月開催の科学研究費特定領域研究(A)「東アジア出版文化の研究」C・D班共催の公開研究発表会「南禅寺展にちなんで」に於いて。別に「我邦舶載東禅寺版の刷印時期についての一事実―東寺蔵一切経本東禅寺版と本源寺蔵一切経本東禅寺版の刷印時期―」〈『ナオ・デ・ラ』東アジア出版文化の研究 VOL.6 2004年8月〉。後に併せて「宋刊一切経に関する一、二の問題」〈『実践国文学』73号 平成20年3月〉として公刊)が、こうした事例は増加している。
今回は本源寺蔵宋版大蔵経に認められる混合帖の事例を抽出し、その分析を手がかりにして「刻工名」が抱える幾つかの問題に遡及するつもりであるが、数例の事例報告を基に推定可能な範囲に止める。具体的には『阿毘達磨大毘婆沙論』巻191などを採りあげて試みるもので、全貌を解明すべく、今後の調査における方向性を探る上で必須の試験的な作業と考えるからである。この試験的な事例調査から判明する推定可能な範囲内の「傾向」を基礎にして東禅寺版・開元寺版の両蔵に係わった刻工の問題に及ぶ予定である。可能ならば、併せて思渓版の版式に関する問題にも若干広げて考えてみたい。