敦煌本(P.2196)と『在家人布薩法』(重文・神谷本)の比較から見えるもの
平成26年度国際シンポジウム発表要旨
落合 俊典(国際仏教学大学院大学 学長)
敦煌本P.2196はその内題に「出家人受菩薩戒法巻第一」とある。一方日本の奈良写経神谷本の内題には「在家人布薩法巻第七」となっている。前者の研究は敦煌本発見時以来数多くの論究が公刊されてきたが、後者は重要文化財の指定を受けていながら研究の対象となることが見過ごされてきた。
それでは後者の『在家人布薩法』(神谷本)再発見の経緯を示しておきたい。その前に敦煌本『出家人受菩薩戒法』巻第一について少しく述べておく。敦煌本(P.2196)の奥書(識語)の記述に従えば本書の書写は天監十八年(519)であり、勅写ともあることから梁の武帝の命に依るものとされる。南朝の典雅な書風は書跡愛好家にも注目1されていたが、研究者の間では書名と内容の記述が一致しないことから種々なる解釈が出てきてもいた2。
去る平成23年秋、定源(王招国君、現在上海師範大学敦煌研究所研究員)氏から重要文化財を紹介する書物に本写経が入っていることを知らされた。巻首一枚だけが写っている影印であったが、敦煌本との共通性が想起されたので八方手をつくして個人蔵の『在家人布薩法』巻第一(重要文化財)を熟覧させて頂くに至った。神谷家の方々に衷心より御礼申し上げたい。
さて、重要文化財に指定されたのは昭和10年(1935)であったが、当時のこととて詳細な研究報告ができた上での指定ではなく、年代・書風・稀覯性等々に鑑み散逸を恐れて重文となったと思われる。その後研究者の目に触れられることなく、七十有余年の星霜を経ることとなった。京都国立博物館の赤尾栄慶氏に同行を願って氏の鑑定も拝聴することができた。奈良時代の書写にかかるきわめて素性のよろしい逸品との評価であり、重要文化財たるにふさわしい経巻であることが再確認できた訳である。
その後筆者はプリンストン大学の講演(2012.12.13)に於いて本書の概要を発表した。そのタイトルが、
“Assigning a Title to Dunhuang Document Pelliot 2196 on the Basis of the Version among Ancient Japanese Manuscripts.” (日本の古寫經本に依って書名が判明した敦煌本P.2196について)
である。つまり『出家人受菩薩戒法』なる内題は真の書名ではなかったのである。では真の書名は何か、それを考えていくのが本発表の終結点でもあるが、実は簡単に判明するのである。
敦煌本からは書名が判断できなかったのは、本来の書名を導きだせる引用文が見当たらなかったからに過ぎない。日本の古写経本『在家人布薩法』(神谷本)の方には引用文があり、すぐ判明した。道宣の『四分律行事鈔』に引用文が存し、「出要律儀曰」とあったので『在家人布薩法』は『出要律儀』の一部であることが分かったのである。
次に問題となるのは、『在家人布薩法』と敦煌本『出家人受菩薩戒法』との関係性である。これは立証するのは前述のように簡単明瞭に出来ない。状況証拠を積み重ねる方法をとる。なお、『義天録』に見られる智首述『出要律儀綱目章』一巻3という書が残存していれば『出要律儀』の構成が分かるのであるが、この書は現在逸書となっている。
a.敦煌本(『出家人受菩薩戒法』)書名への疑義…従来書名(実は内題と尾題から全体の書名と想定したもの)から内容と相違することが提議されていた。
b.両本の構成の共通性
c.両本の文言の類似性
d.両本の書風・書体の類似性
e.正倉院文書に見られる記述からの推測
以上の考察を重ねると敦煌本『出家人受菩薩戒法』が奈良写経神谷本『在家人布薩法』と同一書名の下にある品題あるいは章題であることが理解できる。
- 饒宗頤解説「出家人受菩薩戒法巻第一」(『敦煌書法叢刊』第20巻「写経(一)」二玄社。1983年)。
- 諏訪義純『中国南朝仏教史の研究』大東出版社。平成9年。
- 『大正蔵』55巻1174頁中段。(『新編諸宗教蔵総録』巻二)