HOMEお知らせ日本古写経研究所興聖寺蔵伝解脱房貞慶筆唯識の書
―一切経に付随して伝来した聖教―

興聖寺蔵伝解脱房貞慶筆唯識の書
―一切経に付随して伝来した聖教―

平成26年度国際シンポジウム発表要旨
小島 裕子(国際仏教学大学院大学附置日本古写経研究所 特任研究員)

洛北の禅宗古刹興聖寺(京都市上京区)に所蔵される一切経は、慶長年中、開山虚応円耳(1559-1619)の時代に洛南の海住山寺(京都府木津川市、瓶原恭仁京)より伝来した解脱房貞慶ゆかりの平安古写経である。当該の一切経については、すでに京都市教育委員会調査団による調査と『興聖寺一切経調査報告書』(京都府古文書調査報告書第13集、平成10年)に詳細な調査報告がなされ、「西楽寺一切経」と称する一切経を貞慶が求めて海住山寺へ入れ、後に貞慶十三回忌に臨んで欠落本の補写が行われたとする経緯が明らかにされている。
本報告では、この興聖寺へ伝来された一切経とともに、同寺へ伝来したと推定される一巻の唯識の書の存在が、日本古写経研究所の一切経および聖教調査の折に明らかとなった(落合俊典氏報告「日本における一切経伝播の諸相 [2]興聖寺一切経」International Workshop“Codicology of Hanzi Scripts-As the middle point report”Ryukoku University Omiya Campus,Kyoto,Japan  2013.3.12)。端裏に「解脱上人筆」と墨書される当該の巻子については、享保十一年(1726)六月の奥書をもつ『古什物目録』に「笠置解脱上人筆 一巻」と記載のある什物に一致すると考えられる。
「疏の学問時の談これを記す(原漢文)」として、唯識の観法である五重唯識観の第四「勝劣顕証文」に関する問答の記載と認められる箇所を有し、全般にわたり「小嶋私記云」「小嶋疏」「小嶋尺」と、子島寺の真興(935-1004)の著述である『唯識義私記』の引用を中心に、『成唯識論』所引の『大乗荘厳経論』の引用なども認められる。真興の私記については、はやく養和二年(1182)に貞慶自身が同門の輩とともに分担し書写した本が現存し注目されるが(重要文化財・個人蔵、永村眞氏「貞慶と興福寺」(『解脱上人貞慶――鎌倉仏教の本流――』奈良国立博物館御遠忌八〇〇年記念特別展、平成24年)、本書からは同私記のその後の変わらぬ重用が認められ、良算をはじめとする弟子たちが深めた師貞慶をとりまく学問の場、とりわけ唯識の注釈研究の有様を彷彿とし得る点で、極めて重要な書と目される。奥書に記される承元二年(1208)八月は、貞慶にとって同年が笠置寺から海住山寺へ移住した年であり、また後鳥羽上皇御願の河内交野の新御堂供養の導師を勤めた功により院から仏舎利を賜った同年九月七日(「僧貞慶仏舎利安置状」)の直前にあたるなど、院が海住山寺を御祈願所として供養が執り行われた承元四年(1210)を目前に、晩年の宗教活動が円熟の域に達する頃の談義として注目される。
興聖寺には、この享保目録以降近代に至るまで重ねて記された什物目録が複数見いだされ、それらの中に勅に関わる一切経とともに当該の解脱上人本が什物として継承されてきた歴史がみてとれる。かつて赤松俊秀氏が披見したとされる「海住山寺一切経売渡状」の所在が不明であることは、そこに当該巻子に関する何らかの記載がある可能性をも含み惜しまれるが(上記報告書、石川登志雄氏「興聖寺と一切経」)、同寺所蔵の聖教の中に見いだされる一切経修繕のための御願書などからも、幾ばくかの跡づけを行っておくことはできよう。一切経調査の一環として、その一切経に付随して伝来した聖教の把握を行う見地から、今後の興聖寺一切経の研究、日本唯識の展開の研究、貞慶の宗教史研究に資するであろうと思われる本書について、ここにささやかな紹介・報告を試みておきたい。

お知らせNews

月別
アーカイブArchive