日本古写経本『三法度論』の資料的意義と問題点
平成26年度国際シンポジウム発表要旨
林寺 正俊(北海道大学大学院文学研究科 准教授)
『三法度論』とは犢子部(あるいは犢子部系の部派)に属すると推定される論書であり、インド語原典やチベット訳はなく、ただ二種の漢訳によってのみ伝えられている。その一つは廬山の慧遠(334~417)が罽賓出身の僧伽提婆(Saṅghadeva)に要請して紀元391年に訳させたもので、それがこの『三法度論』の名で知られるテキストであり、もう一つはこの訳出に先立つ紀元382年に慧遠の師にあたる道安(312~385)が鳩摩羅仏提(Kumārabuddhi)らに要請して訳させたものである。後者は『四阿含暮抄解』という名で知られるが、これは四阿含経の要義が本書中にまとめられているとする伝承を踏まえて、道安が敢えてそう名付けたものであり、実際には中の各品末尾に「三法度」という本来の名称も挙げられている。
本書は、内容的にヴァスバドラ(Vasubhadra)作の簡潔な「経」(sūtra)と、それに対するサンガセーナ(Saṅghasena)作の注釈(論)から成っている。『四阿含暮抄解』では本文中に「修妬路」(sūtraの音写)という割注が都度に挿入されて経と論とが区別されているが、大正蔵をはじめとする従来の『三法度論』ではそうした類の配慮がないために経と論の区別が明確ではない。しかしながら、金剛寺本、七寺本、興聖寺本、神護寺本という日本古写経本はいずれも冒頭部に「三法度経本」として「経」だけが別出されており、これによって経と論との区別ができる形態となっている。さらに、冒頭に記載される訳者名も異なっている。
本発表では、従来の諸本とは異なる上述の日本古写経本『三法度論』を紹介するとともに、ヴァスバドラ作の「経」が別出されている問題、ならびに訳者名が相違する問題について検討し、当該テキストの資料的意義について考察する。