五月一日経本『続高僧伝』の文献的特徴
平成26年度国際シンポジウム発表要旨
池 麗梅(鶴見大学仏教文化研究所 准教授)
日本古写経本『続高僧伝』は、七四〇年の光明皇后御願文をもつ古写本(京都国立博物館蔵の巻二十八、東大寺所蔵の巻二十九、正倉院所蔵の巻三十の三巻のみ所在判明)を最古とするが、その現存伝本の主体をなすのは平安・鎌倉時代に書写されたものである。
平安時代以降に書写された一切経に含まれている『続高僧伝』に関しては、興聖寺本・七寺本・金剛寺本に限定して言えば、分科・分巻において刊本大蔵経系統本の開宝蔵系統本および北方系統本と全く同様であるが、収録正伝数は合計三百八十五人(興聖寺本のみ三百八十八人)が数えられる。この総数は、『続高僧伝』の序文で告げられた「三百四十人」という数字より四十五人ほど超過しているが、初期開宝蔵系統本の三百九十五人、北方系統本の四百五人、後期開宝蔵系統本の四百十四人、そして江南系統本の四百八十六人という正伝収録数よりはるかに少ないものであり、現存諸本の中ではより古い成立段階の形態を留めるテキストである、と認められる。この収録状況と個々の伝記本文に保存されている素朴な形態などを考え合わせれば、これらの古写経本は、刊本大蔵経の系譜を引き継ぐものではなく、いち早く唐から奈良時代の日本に伝わったことによって中国におけるそれ以降の改変を免れ、平安時代以降の日本で幾たびか転写されたテキストであると考えられる。
この推定を裏づけてくれるのが、京都国立博物館蔵の光明皇后御願経本『続高僧伝』(巻二十八)という七四〇年頃成立の天平写経の存在である。同写本は巻末の一紙だけが同館ホームページの掲載を通じて知られてきたが、筆者が実際にその全容を通覧できたのは、二〇一三年十二月二十七日の調査時である。これは、京都国立博物館の赤尾栄慶先生のご協力によって実現した調査であり、またその際には赤尾先生から様々なご教示を頂いた。この調査後に文字データの分析を実施した結果、興聖寺本・七寺本・金剛寺本などの平安・鎌倉時代に書写された『続高僧伝』巻二十八の内容は、それぞれの中に誤字・脱字・脱文が多数存在するものの、いずれも上記の天平写経の内容を受け継いでいることは疑う余地がないことが改めて確認された。本発表は、上記の調査研究の結果、そしてそこから得られた知見を詳細に紹介するものである。