令和元年度 第2回公開研究会
日時
2019年11月9日(土)午後3時15~午後5時00分
会場
発表者
小島 裕子(鶴見大学仏教文化研究所特任研究員)
「仏教〝法文歌″からみた経典の諸相 ――『梁塵秘抄』より、釈迦の住所と法華経八巻――」
【発表要旨】
平安時代の末(12世紀末)、時の法皇であった後白河院は『梁塵秘抄(りょうじんひしょう〈Ryojin-hisyo〉)』という歌謡集を御撰、編纂した。「今様」という流行歌を蒐集せる同書には、平安後期の歴史や文化・思想を鮮やかに映し出す歌々が見いだされるが、わずかに現存するその中に、「法文歌(ほうもんのうた〈homon-no-uta〉)」と称する、仏教に関する歌が纏まって収められている。院は自ら著した口伝書の末尾に、「法文の歌、聖教の文に離れたることなし」(『梁塵秘抄口伝集』)と、「法文歌」が経典のことばの世界に等しいことを記している。
遺された仏教の文献資料が私たちに指し示す仏法の種種。それらを突き詰める道は幾筋もあるものと思う。紡ぎ出された「法文歌」のことばには、仏教の枢要にふれ得る「緒」が其処此処に認められる。本報告は、仏・法(経)・僧にわたる多様な「法文歌」の中から、経典に纏わる諸相の一つを見いだし、考究する。具体的には、釈迦の住所を謡う歌を採り上げ、歌が成った背景に、鳩摩羅什訳『妙法蓮華経』の成立とその調巻に及ぶ学問的意識が働いていることを確認してみたい。
より豊かな仏教の享受を期し、「法文歌」を架け橋として、歌のことばに刻み込まれた視座と、経典諸本の詳細な研究の成果とを結ぶ先に、教義に対する「時」の理解や、それらが深められていた「場」を、あらためて想起してみることができればと思う。
杉本一樹(宮内庁正倉院事務所宝物調査員)
「聖語蔵の古写経と正倉院文書」
【発表要旨】
日本の古代、なかでも8世紀は、律令制度を骨格とする本格的な国家体制が急速に整った時期である。唐・新羅との交流の機会も多く、これ以前から見られた文物の流入も一層厚みを増した。この時期の日本はまた、仏教の加護のもとに国の安泰を祈念する鎮護国家の思想が、国制のもう一つの支えとして広く受け入れられ、時の天皇・貴族以下はこぞって仏教に篤い信仰を寄せたのであった。
このため、この時期の仏教のあり方は多様な側面をもつが、その中心に、盧舎那仏を本尊とする東大寺、その創建に国力を挙げて尽くした聖武天皇、その皇后光明子を置くことができる。また時間軸上では、クライマックスとしての大仏開眼会(天平勝宝4年4月9日:752年)から聖武天皇崩御(天平勝宝8歳5月2日:756年)まであたりを、この時代の、中間にして極大を迎える時期として考えてよいだろう。
上記のような視点を設定することは、「中心偏重」のリスクをはらむものの、それを回避できれば大きな利点がある。
なにより東大寺は、創建時に遡る堂舎・仏像も少なくはなく、現在までほぼ一貫して隆盛を保ってきた。境内の一隅に建つ正倉院は、聖武天皇に直結する宝物など、多くの品々を今も伝えている。創建期以来、東大寺の教学のよりどころとなった経典は、東大寺塔頭尊勝院の経蔵をへて、今は「聖語蔵経巻」としてこれも多数伝わる。さらには、奈良時代の写経事業が進んでいくなか、日々の作業を事細かに記録した大量の記録・文書(写経所文書)の集積、すなわち世に「正倉院文書」として知られる一大文書群がここに加わる。奈良時代に筆記された姿そのままの原本である。
完成品である経典(聖語蔵経巻)と、その製作過程を示す裏方の記録(正倉院文書)との双方が揃う例を、他には知らない。しかも、孤立した例ではなく、点がつながって線となり、さらには互いに呼応し合ってさらなる広がりに進むだけの量がある。
発表者は、宮内庁正倉院事務所に在職中、正倉院文書の影印出版(昭和63年:1988刊行開始)、聖語蔵経巻のカラーデジタル出版(平成12年:2001開始)、この二つの出版企画・製作に関わってきた。後者の事業については、10年前の公開シンポジウムで「正倉院事務所による聖語蔵経巻デジタル化事業について」(2009.12)と題してふれたことがあるが、今回の公開研究会であらためて、このような希有の事例が存在することをご紹介したい。
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