令和4年度 第1回公開研究会
日時
2022年5月14日(土)午後3時15~午後5時00分
会場
発表者
長谷川 岳史(龍谷大学 教授)
「石山寺蔵靖邁撰『仏地経論疏』について ― 巻一・二・六の翻刻研究から見えてきたこと ―」
【発表要旨】
『大唐大慈恩寺三蔵法師伝』において九人の綴文大徳の一人にあげられ、他にも『瑜伽師地論』の証文や『成唯識論』の質文を玄奘(六〇二―六六四)指揮下で担当した靖邁には、数多くの著作があったことが伝えられるものの、現在ではそのほとんどが散逸したと考えられている。
『仏地経論疏』もその一つであるが、巻一・二・六については、一九二四年に大屋徳城氏が、法宝『一乗仏性究竟論』と共に「学界に報告す可き二種の逸書」として紹介し、一九八五年には石山寺文化財綜合調査団も、「石山寺一切経」(「附第六函」第一六〇号〈巻一〉・第一六一号〈巻二〉・第一六二号〈巻六〉)に平安時代初期の写本が現存することを報告している。
しかしながら、結城令聞氏が『仏書解説大辞典』第九巻(一九三五年)に執筆した「仏地経論疏」の項目、並びに『唯識学典籍志』(一九六二年)では、写本の現存は伝えられているものの、その所在が記載されなかったため、これらに依拠した近年の靖邁に関する研究において『仏地経論疏』は、所在不明の文献と見なされてきた。
本発表では、龍谷大学世界仏教文化研究センターの大蔵経研究プロジェクト「中国仏教教学の研究」メンバー(長谷川岳史、小野嶋祥雄、村上明也、吉田慈順)が、二〇一九年から取り組んだ翻刻研究から見えてきた写本の性格や現時点で抽出している教学的特徴について紹介する。
飯田 剛彦(宮内庁正倉院事務所 所長)
「聖語蔵の古写経の来歴について」
【発表要旨】
聖語蔵経巻は、奈良・東大寺尊勝院の経蔵であった「聖語蔵」に伝来した経巻群である。隋・唐からの舶載経、光明皇后発願による天平十二年御願経(五月一日経)、称徳天皇発願による神護景雲二年御願経(ただし、実際には大半が宝亀年間の書写にかかる別の一切経〔今更一部一切経〕)などを中心に、南北朝期までに書写された写経、版経等が伝来し、その総数は約五千巻を数える。これらは明治26年(1893)に東大寺から帝室に献納されて国の管理となり、現在は宮内庁正倉院事務所がその任にあたっている。
とりわけ天平十二年御願経は鑑真将来経などによる厳密な校訂を経た、奈良朝写経の中でも特筆すべき一切経で、現存する1,000巻ほどのうち、約750巻が聖語蔵に伝来する。この天平十二年御願経をはじめとする古写経は、平安時代、東大寺の下如法院に保管されており、延喜12年(912)には綱封による管理となるなど、その重要性に鑑み、活用より保存に重きを置いた措置が取られるようになった。延喜17年(917)の講堂・三面僧坊の焼失を期に、寺内では奈良時代の古器物の集中管理が進められ、さらに、その保管場所であった羂索院双倉の朽損を理由に、古器物は天暦4年(950)に同じ綱封倉であった正倉院の南倉に移納される。天平時代の遺物という共通性から、下如法院収蔵の古写経も同様に南倉に移され、ここに古い由緒を有する古器物・古経巻を正倉院南倉で集中管理する体制が確立する。
その後、治承4年(1180)の平重衡による南都焼討で大きなダメージを受けた東大寺は、これら古写経について、保存最優先の方針を転換して正倉院南倉から取り出し、活用に舵を切る。取り出された古写経は教学復興の礎となると共に、精神的な支えとして東大寺の危機的な状況を救う役割を果たした。これらが尊勝院聖語蔵に伝わり、近代になって奇しくも再び正倉院との繋がりを深めることとなる。
今回の報告では、主に平安時代の東大寺における古文化財の保存と活用という観点から、聖語蔵経巻の来歴について考察してみたい。
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