令和7年度 第1回公開研究会
日時
2025年5月10日(土)午後3時15~午後5時00分
会場
発表者
青木佳伶(国際仏教学大学院大学 日本古写経研究所 研究員)
「金剛寺蔵北本『涅槃経』巻十と『注涅槃経』巻十について」
【発表要旨】
本発表では、大阪府河内長野市の天野山金剛寺(真言宗御室派)所蔵の『涅槃経』巻十と、滋賀県大津市比叡辻の聖衆来迎寺(天台宗)所蔵の『注涅槃経』巻十の経文を比較し、その異同について考察する。
日本では、古くから唐から伝来した経典が書写され、国家鎮護や追善供養などの目的で広く普及してきた。その過程で、経典の書写には、誤字脱字などの不可避な誤写が生じる場合がある。これらの誤写や改変の特徴を手がかりに、経典がどのように伝播し、書写されてきたかが明らかになることも少なくない。また、まれではあるが、意図的に改変が施された可能性も考えられる。こうした異同を詳細に検討することで、経典の伝播過程や歴史的背景に関する新たな知見が得られるのではないかと考える。
天野山金剛寺は、府内唯一の写本一切経である「金剛寺一切経」(約4461巻24帖)を所蔵しており、国際仏教学大学院大学日本古写経研究所が長年にわたりその調査を進めてきた。一方、発表者はこれまで、『涅槃経』の注釈書である『注涅槃経』に注目し、研究を進めてきた。『注涅槃経』は、唐代の県令・韋諗(いしん)によって撰述された全30巻の注釈書であり、現在奈良時代から平安初期までに書写された9巻の現存が確認されている。
昨年、『注涅槃経』の調査の一環として金剛寺において『涅槃経』の調査を行う中で、巻末に朱字で「僧寂照持経也」と記された奥書を持つ写本の存在に気づいた。この写本の書写年代は、平安中期から鎌倉中期の諸説があるが、『注涅槃経』の書写時代より下っており、『涅槃経』の経文遷移の調査に適している。
この研究では、特に『注涅槃経』内に引用されている経文に着目する。この経文は「北本」に依拠しているとされるが、時に「南本」や他の異本に見られない独自の文言を含む場合があり、その異同についてさらなる考察が必要である。
本発表では、天野山金剛寺所蔵の平安時代の『涅槃経』の写本と、奈良時代に書写された『注涅槃経』の写本を比較し、さらに『注涅槃経』における現行『涅槃経』との経文異同の特徴を分析し、その背後に潜む改変の意図や歴史的意義について考察を試みたい。
横山 操(京都大学大学院エネルギー科学研究科 特定研究員)
「古写経に刻まれる時間―年代測定と材質分析から紐解く」
【発表要旨】
日本には、法隆寺五重塔や正倉院正倉をはじめ、建立から千年以上の時を経てもなお創建当時の姿をとどめる木造建造物が数多く現存しています。そして、これらの建造物の中では、木材や紙で作られた文化財(木質文化財)が大切に守り伝えられてきました。現存する日本最古の写経とされる国宝『金剛場陀羅尼経』¹⁾も、そうした貴重な文化財の代表例です。
このように、木材や紙など、一見すると脆弱に思われがちな植物由来の材料が、長年にわたり私たちの文化と歴史を支えてきたことは、世界的に見ても際立った特徴です。筆者らはこのことに注目し、文化財の価値を担保し、学術研究資源としても次世代に継承することを目的とした研究を行っています。これまで法隆寺建造物部材をはじめとする木質文化財に対し、放射性炭素年代測定など材料学的アプローチによる調査を行ってきました²⁾。
本報告では、古写経の成立年代の科学的根拠を示すものとして、主に放射性炭素年代測定法による分析結果を紹介します。放射性炭素年代測定は、1940年代後半にウィラード・リビーによって開発された年代測定法です。植物は光合成によって大気中の二酸化炭素を取り込み、枯死すると外界からの二酸化炭素供給がなくなり、炭素の量が時間とともに減少します。炭素同位体の一つである炭素14が放射壊変する際の半減期が約5730年であるという性質を利用し、残存する炭素量の測定により、有機物の年代を推定する分析手法です。
古写経は、信仰や宗教活動の根幹であると同時に、文化的アイデンティティや歴史を考察する上で不可欠な学術資料であり、仏教学、歴史学、言語学、書誌学などの多岐にわたる分野で多くの研究蓄積があります。古写経研究の系譜を踏まえつつ、新たな科学的分析手法を導入することにより、文化財の歴史背景に関する人文科学的な問いや、資料保存上の実践的な課題に結びつけながら、古写経に対するより多角的で深い理解に貢献したいと考えています。
文献
1)日本古写経善本叢刊第十一 国宝 金剛場陀羅尼経、国際仏教学大学院大学日本古写経研究所 2024
2)坂本稔・横山操編 国立歴史民俗博物館叢書8 樹木・木材と年代研究 朝倉書店 2021
問い合わせ
*参加ご希望の方は、電話、ファックス、葉書または電子メールにて、
5月7日(水)までにお申し込み下さいますようお願い申し上げます
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